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I Wanna Be Your Man~彼氏になりたい

 ザ・ローリング・ストーンズで

今年(2012年)、ザ・ビートルズはデビュー50周年、ザ・ローリング・ストーンズは結成50周年を迎える。ものすごく長い歴史です。

ローリングストーンズは、ビートルズに遅れること約2年後の1962年デビューしました(1963年6月にレコード・デビュー)ビートルズから見れば後輩バンドということになりますね。

両グループは仲が良かったと言われます。
お互いにアルバム発売のタイミングが、かぶらないように相談していたとか。

レノン/マッカートニーはストーンズにシングル曲を提供していて、今回のタイトル「I Wanna Be Your Man」(彼氏になりたい~邦題)です。

ストーンズのバージョンは彼らの2枚目のシングルとして1963年11月1日発売、ビートルズのバージョンは2枚目のアルバムの「ウイズ・ザ・ビートルズ」(With The Beatles)に収録、1963年11月22日発売されました。

ギターをオープンEコードででVoxAC30アンプを使用している。と資料にありますが、ジョン・レノンは1980年のインタビューで「あまり良くなかった」と語っていいます。

その後ミック・ジャガーとキース・リチャーズ(デビュー当初は”リチャード”と名乗っていた)は曲を自分たちで書き始めます。ビートルズ(レノン/マッカートニー)の曲作りを見て「我々でもできそうだ」と。

ビートルズも最初は手ほどきをしたらしいですけれど、それがなかったら「ジャガー/リチャーズ」作品は生まれていなかったかもしれませんね。
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tag : I Wanna Be Your Man~彼氏になりたい ローリング・ストーンズ

ゴールデン・スランバー(Golden slumbers)が録音された日

 普通のバージョンですが、スライドショーが楽しい

1970年7月3日、アビイ・ロード・スタジオにて、
ゴールデン・スランバーとキャリー・ザット・ウエイトが録音された。

2曲とも2012年2月12日の第54回グラミー賞授賞式でポール・マッカートニーが演奏した曲で、ご存じのとおりアルバム「アビイ・ロード」のB面に収録されています。

「アビイ・ロード」、発売は「レット・イット・ビー」の前(最終アルバムのひとつ前)ですが録音された順番はというとこれがビートルズの最後の録音ということになります。
ビートルズのアルバムとしては最高の売上枚数を誇ります。それを記念してスタジオは「アビイ・ロード・スタジオ」という名前になりました。(それまではEMIレコーディング・スタジオという名前だった)

ファンならばみんな(?)大好きな「アビイ・ロードB面」の中の曲ですね。
前述のグラミー賞授賞式での演奏も良かったですが、オリジナルのアルバムの演奏もいつ聴いても良いものです。

「黄金の眠りが君の目の中にある…泣かないでプリティダーリン、私が子守歌を歌って上げよう」というような意味だと思いますけれど、何と素晴らしい歌詞とメロディ。ポール・マッカートニーの真骨頂ですね。

ちなみに「キャリー・ザット・ウエイト」の歌詞について「君はこれからその重荷をずっと背負って行くんだ」とういような感じで、「もうこれでお別れなんだよ」というメッセージ・ソングのように思えてきます。

この録音の時にジョンは入院していたとかで、ジョン・レノン不在でこの曲が録音されていたというのは何か意味深いことのような…

tag : ゴールデン・スランバー ビートルズ ポール・マッカートニー

ロンンドン・オリンピック開会式の演目~続報 とHey Jude

Marta Kubišová, recitál Proudy, FSB 1969

ポール・マッカートニーのロンドン・オリンピック演奏の続報になります。

少し前に、「シーラブズ・ユー」「ヘイ・ジュード」「ジ・エンド」に決定したとの報道がありました。(She Loves You, Hey Jude,The End)

今日のラジオ報道にもありましたのでそのうちの「ヘイ・ジュード」は確実のようです。
ということで、今回は「ヘイ・ジュード」について。

この曲にまつわる話はわりと有名で、すでにご存じの方も多いのではないかと思います。
ポール・マッカートニーがこの曲を作曲した当時ジョン・レノンは妻のシンシアと離婚直前で、ジョンの息子「ジュリアン」を励まそうとして作られた。

ポールによると、最初は「Hey Jules」(ジュリアンの愛称)という仮題だったとのこと
一説にジュリアンの愛称が「Jude」だったというのもあり。
Jude はドイツ語ではユダヤ人の意味で、そのために抗議されたりレコードを発売中止にせよ」と言われたこともあるそうです。

★なぜ「Hey Jude」は曲の後半が長いのか
という疑問について。延々と続くリフレインを聞いたり歌ったりしていると、協会音楽かクラシックの名曲かと思ってしまうから不思議です。

リフレインが長いのは幼いジュリアンを励ますため」というのが一番の定説だと思いますが「ジョンは”自分のためにポールが作った曲だ」とか「ポル自身ために書いたのだ」と言っているようで。
いずれにせよ誰かを励ますために」作られたのでしょう。

オーケストラ要の編曲はジョージ・マーチンが行っています。(いつもの通り)
学校の教科書にも載っていたというお話しを聞きました。
他にも何曲もありそうですが、いずれ調べてみたいですね。

アップル・レコード初のシングル
1968年18枚目のオリジナル・シングルとして発売。B面は「レヴォリューション」
約7分という演奏時間は当時のポピュラーとしては珍しい長さですね。
オーケストラ用の編曲はジョージ・マーチンが行っています。(いつもの通り)

【動画について】
Marta Kubišová, recitál Proudy, FSB 1969
当時チェコ語でカバーされ、革命の原動力となったそうです
出典:http://www7a.biglobe.ne.jp/~frommybeatles/heijyu-do.htm

tag : ロンンドン・オリンピック開会式 ポール・マッカートニー Hey Jude

ポール・マッカートニーの誕生日とオリンピック出演のお話

 happy birthday dear Saturday Club
「サタデイ・クラブ」とはTVショーのタイトル、らしいです

6月18日はサー・ポール・マッカートニーの70歳の誕生日でした・。
1942年6月18日生まれ(昭和17年)
ビートルズのデビュー当時の公表値では身長178cmとなっています。

当日書いていたのにアップする時間がなく、残念です。

ジェームズ・ポール・マッカートニー(Sir James Paul McCartney )
父もジェームス・マッカートニー息子もジェームス(・ルイス)・マッカートニーみんな同じ名前!
日本でも、おじいさんと同じ名前という人もいますが…


★ロンドンオリンピック2012の開会式のトリで出演

今年の1月からポール・マッカートニーがほのめかしていた、オリンピック、パラリンピックの開会式に出演するということがやっと公表されました。40億人が見るであろうといわれています。

BBCのラジオ番組に出演したポールは「私はオリンピックの開会式の終わりに出演予定となっている
きっと緊張するだろうな」と語ったとか。

先日行われた「エリザベス女王の即位60周年」のコンサートで「ヘイ・ジュード」を演奏しなかったので、演目にこの曲が入るのでは?と噂されているようですが詳細は不明です。(早く知りたいですね~)

開会式のトリということになると夜の9~10時くらいになるのでは。と予想されますが、日本との時差が8時間とすると午前3時~4時くらいになります。また女子サッカーのワールドカップの時のように早起き(夜更かし?)をしなくては…

ちなみに、娘さんのステラ・マッカートニー(有名なファッションデザイナー、みなさんご存じの)が英国オリンピック選手のユニフォームを担当しています。

tag : ポール・マッカートニー オリンピック ステラ・マッカートニー

初めてビートルズに取材した日本人、星加ルミ子氏

rumi_with_b 画像はイメージです

古い(?)音楽ファンならご存じの星加ルミ子氏のお話です。
ミュージックライ­フ編集長だった。大橋巨泉さんたちと、ビート­ポップスという番組の司会をされていましたね。

この話は大分前に私がラジオで聞いた内容なのですが、

1965年にBeatlesの取材に一人でイギリスに渡った時の話。
まだ海外旅行も今ほど一般的でなかったころ、若い女性(当時24歳!)がアポなしで直接ロンドンに乗り込んで取材したというのはスゴイです。

着物を着て日本刀をおみやげに持って、それも真剣(本物の刀、でも刃はついてないと思いますが)それをおもちゃの刀に紛れ込ませて手荷物で飛行機に乗ったとか。

見つかればどうなったか分かりません。その行動力恐るべし。ジャーナリストってそういうバイタリティのある人種なのか(星加さん失礼します)

EMIレコードが面倒を見るからという話だったとのことですが、いきなりマネージャーのエプスタインの所へ行ってBeatlesのインタビューの話をつけたというのは驚きです。
日本刀が功を奏したのか何日か後に時間を取ってくれるので「連絡を待て」と言われた。

なのになかなか連絡が来ず。滞在できるぎりぎりの限度まで待っていたら最後の日にやっと30分だけ会ってくれたとのこと。ポールは社交的な人で親切だった。ジョンは日本に興味を持っていた(その頃から日本びいき?)。というとでした。

もう古希でいらっしゃるのですね。年齢とか気にしていませんでしたが。
ますますのご活躍をお祈り申し上げます。

ひとつ知人に聞いた話、星加氏の弟さんと知り合いだったと言う人がいて、ジョンにもらったピックを頂いたのになくしてしまった。と、もったいない話があります。残念。

tag : 初めてビートルズに取材 日本人、星加ルミ子

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